句会

 先週、帰省ラッシュと時期をずらせて福岡に帰省し、
およそ、7年ぶりに句会に参加させていただいた。

 *句会:参加者が自作の句を持ち寄り、全員の句を参加者が良いと
      思ったものを選び(選句)、後に選ばれた句を読み上げていく(披稿)。
      自分の句を出すとき(投句)には、無記名とし、それぞれの句がだれの
      作ったものかわからない状態で、選句し、披稿のときに読み上げられて
      初めて作者は名のりをあげる。 

 句作をやるようになったのは、学生の頃、
卒論のテーマが近世の俳諧だった私に、
「俳句の論文書くんだったら、自分も俳句を作ることが大事よ。」
と友人から句会に誘われ、月に一度「文月会」という
この句会に参加するようになったのがきっかけで、
この文月会は、私の句作の原点ともいえる。
(ちょっと、大仰な言い方ではばかられるが)

福岡を離れてからは、投句をするだけになったが、
拙いながらも何とかこれまで
俳句を作り続り続けてきたのは、
月に一回作った句を送る場所があるということと、
句作をする恩恵を実感してきたからだと思う。

 さて、7年ぶりの句会だが、ここでは、今でも私は、
「ちゃん」づけで呼ばれる。
句会に参加し始めたときに、私がまだ学生で、会の中で最年少者で
あったので、先生を始めとする皆さんからそういう風に呼ばれていたのだが、
会のメンバーがあまり変わっていないこともあって、
今でもそれは変わらない。
この年になって、下の名前をちゃんづけで呼んで
もらえるのは、この場だけで、貴重なことだ。(^^;)
それに、そう呼ばれると、故郷に帰ってきたという感じで
何だかほっとする。
先生は、「あら、もうちゃんなんて呼んだら失礼かしらね。」
とおっしゃたけれど、いえいえ、唯一そう呼んでいただける貴重な場です。
何だか学生の頃とまでいかなくても
初心に帰る様な新鮮な気持ちになって、本人はありがたく思っています。
それに私は、この句会ではいまだに、未熟者ですから。

 しかし、そんなことで、喜んでいる?のは、つかの間。
「久しぶりだから」と
披稿の係り(句会で選ばれた句全てをを読み上げ役)という責任の
重い役を仰せつかったため、私の緊張度は一気に増し、まるで
句会に参加し始めたばかりのころのような状態になった。
これも、ひとえに私の日ごろの不勉強によるところが大きいのだが、
披稿者は、選ばれた句、一句一句を明確に読み上げなければならない
のに、句会に参加する皆さんが俳句の中で使う用語や、漢字には
普段見たことのないようなもので、難しくて読めなかったり
意味がわからなかったりするものがある。
読み上げるときに、読めなかったり、間違っていては大変と選句の
合間に辞書を引いたり、漢字をよく知っていらっしゃるご年配の方に
お聞きしたりと脳をふる回転させる忙しく、緊張のひと時となった。
「あ~やはり、未熟者」と痛感!
 でも、おかげで自分が使っていない季語や、語彙、漢字をこの日に
知ることができ、とても勉強した気分になった。その上、会のメンバーの
皆さんが私より年上で、ご年配の方も多いのに、ますますお元気で
生きるエネルギーがすごくて、私は刺激とパワーをたくさんいただいた。

 ドキドキしながらも、充実した楽しい時間をありがとうございました。
また、月一の投句だけの日々になりますが、この日の刺激を忘れず、
句を作り続けていきたいと思います。
 一つ残念だったのは、突然披稿の担当になって、緊張してしまったため、
カメラを持っていっていたにもかかわらず、皆さんと一緒の写真を撮らせて
いただくのを忘れていたことです。

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