結城紬と矛盾?お願い

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 つい先日機会あって、産地から産地直送?
(野菜ではないのだからなんていえばいいのでしょう)
結城紬をたくさん見せていただく貴重な機会があった。
こんなにもたくさんの紬を見て、触らせてもらったのは
生まれて初めてだった。

今でも昔ながらの手作業で手間隙かけて、
一つ一つ作り上げていくという。

産地で、実際にはたを織って紬を作っていらっしゃる方が、
今でも使っている、「つるの恩返し」の昔話に出てきそうな、
はた織機の現物も見せて下さりながら、
いろいろと説明をしてくださった。

紬は、絹糸をつくるための養蚕から始まる。
次に蚕から、真綿を取り出す。(上の写真)
この真綿は産地のおばあちゃんたちの指で、
一本一本糸によりあげられていく!


ここからがもっと大変だ。
紬は織りの着物なので、まず糸を染色して、
そのあと織って反物にする。
糸の染色が終わると、反物のデザインに沿って、
それぞれの糸に織っていくための目印となる
細かな目印をつけていく。その目印に沿って、
一反を作るのに、数ヶ月かかってはたを織っていく。
それでも、細かな模様をつけていくと、多少の誤差が
生じてくるので、時折、手や針で細かな修正をしなければ
ならないという。

聞くだけで、出来上がるまでの時間と労力に気が遠くなりそうで
これだけ手間隙かけて作られるのなら、紬が高いのも
うなづける気がする。
しかも、結城紬の特徴である細かな亀の形の文様ー亀甲形ー
を織っていくのは、特に難しく、その亀甲形の一つの大きさが
小さくなればなるほど当然至難の技となってくるため、
細かな亀甲形が織れる人は、
今では、わずかにしか残っていないという。
「そのおばあちゃんが、死んじゃったらもうその紬は
作れなくなるんです。」ともおっしゃっていた。
また、亀甲文様に限らず、この結城紬を作ることに、
それぞれの過程で携わる優れた技術を持った人が
少なくなっているとも。

これだけ、手間隙かけて、一つ一つが人の手で作られたものだけに、
実際に手に触れると、染めの絹と違う
やさしい、ほっこりとしたあたたかさ、心地よさがあるだけでなく、
一つ一つの反物の手触りが、微妙に違っている。
色の風合いも、手織りならではの素朴な、しかも深みのある
微妙なものだ。
染めの着物より体をやさしく包んでくれそうな感じがし、
心引かれる。
日本の伝統文化の結晶の一つとしても、
ぜひ、一つは紬を持っておきたいものだという思いは山々だが、
残念ながら今の私には手が出る買い物ではない。

私にとって最優先されるものは、日本舞踊。
その踊りを続けて、舞台にも出る以上、やはり
それ相当のお金が必要で、踊り以外のことには、
いろんなことを切り捨て、
できるだけお金を使わないようにしているからだ。
国外をとわず、福岡に帰省する以外、旅行とも
ここ数年、無縁なものになった。
普段も余計なものを買わないよう、節約を心がけている。

だから、いくら、伝統的手作業で作っている良いもので、
そういうものを作っている人たちに続けてもらいたいとか、
守っていきたいと思っても、今の私に本場の紬は無理だ。
いつか(遠い先のことだが)一枚は本場の紬が持てるよう、
今日の話を忘れないよう、説明のときにいただいた
この真綿を大切にとって置こうと思う。

それにしても
この矛盾は、伝統工芸品というようなものに、
必ず生じるものだ。
時代は後戻りできないし、現実の需要と供給の関係から
こうした手作業の生産品の需要が大きく伸びていくことは
かなり難しいことだ。
いくら良いものとわかっていても高いお金をはらってまで、
その手作業によるものを買おうとする人は限られている。
でもこのままだと、伝統産業や工芸品といったものの
その技の後継者はいなくなり、そのもの自体がつくられなくなって
消えていくということにもなりかねないだろう。

どうしたらいいのだろう。

今、私にできることは、このプログで紬のことを
お伝えすることぐらいしかない。
あとは着物が好きで、紬を買える余裕がある方に
「紬を買ってください。」
と少しでも多くの方に、紬を着ていただくように
お願いすることぐらいだ。

ちょっと変なお願いだけれど、
これは、どこかで野生動物が絶滅の危機が
心配されるとかという状況と同類のものだとも思う。
ですから 
「着物が好きで、お金に余裕のある方
どうか紬を買ってくださ~い!」








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