和と洋の踊りーその2のおまけー衣装

内(和)と外(洋)といった違い、片方は、制限のある範囲の中で
動こうとし、片方は、無限に空間に広がっていこうとうする
動き方の違いは、衣装による違いとも関係していると思う。

クラシックバレエの「チュチュ」といいわれる衣装などに
代表されるよう、できるだけ重量感がなく軽く、
身体を自由自在に動かせるよう衣装だ。

ところが、日本舞踊の衣装ときたら、この上なく重く、
重い鬘、裾引き(裾引きでないこともあるが)
の着物に太い帯と、身体の動きを上からも下からも、
制限するものばかりだ。
(日本舞踊を見たことのない方は、
歌舞伎の衣装を思い出していただくとよいと思う。
ほぼあれと同様のもの)
初めて本舞台で、鬘をつけ、裾引きの重い衣装を
身につけた時、普段のお稽古の着物とあまりに違う、
重さと、動きにくさに驚き、
「これで、踊るなんて、信じられない!」と
衝撃を受けたことを覚えている。
(例えて言うと、頭にヘルメット3~4個のっけて、
身体に、ぶ厚い綿入れの布団を身体にぐるぐる
巻かれているような感じです)

こういう重い、動きに制限のある衣装をつけて踊るから
日本舞踊の動きは、やはり、内へと向かう動きになるの
だろう。衣装はその民族の歴史的なものとかかわり、
日本舞踊が始まったころに着物社会であったのだから、
当然それが反映されているのだろと。
だがその一方で、衣装のせいだけなのだろうかとも
疑問にも思う。

もし、日本舞踊が、踊りとして、もっと空間に自由に広がって
いく動きを求めていたら、いくら当時の社会を反映しているといえ、
踊りの衣装としては、
もっと軽い動きやすいものとなってもよかったのではないか。

事実、バレエが行われるようになった頃、
発祥の地であるフランスを中心とした
中世ヨーロッパの国々の上流階級の人々の衣服というのも、
歌舞伎に出てくる江戸時代のそれに負けないほど、
豪華絢爛で、重く、動きにくいものだった。
宮廷で、貴婦人が重く長い、ドレスを裾を引きながら歩いている絵だとか、
映画を思い出していただければよい。
貴婦人のドレスの下の下着も
コルセットを始めとし、帯にも負けない、身体を締め付けるものだった。
だが、そうした衣服がそのまま、バレエの舞台には
ならず、踊りのコスチュームとして、全く現実の衣服とは違うものが
発案されていった。当時の社会の身動きのしにくい豪華絢爛な衣服を、
それに近い形で衣装としてとどめているのは、ヨーロッパの場合
オペラであって、踊りの衣装としてではない。
バレエの衣装はあくまで踊り用に、踊りの邪魔にならないことを
条件に作られたものだ。

だが、日本舞踊では、踊り用に動きやすさを求めたものを作らず、
西洋にオペラにあたる歌舞伎の衣装=お芝居の衣装と舞踊の衣装の
区別をしなかった。
江戸時代の身分の高い人たちや、裕福な人たちといった限られた人々しか
着られないような豪華なものを、
舞台ではより誇張し、より大きく、重くなって
動きやすさの点では普段の衣服より、むしろ動きにくくさえなったものを
歌舞伎や舞踊の衣装として使った。
舞踊だけは別の動きやすいものを衣装として使おうという発想は、
なかったようだ。

日本舞踊の動きというのは、それが始まった頃の着物社会、
それをもとにした舞台の衣装に関わるところは、
大きいと思うが、そもそも踊りの求める方向自体が、
バレエの自由に空間に広がっていくことを求めようとしなかったのだ。
だから動きやすい舞踊だけの衣装など作ろうとせず、
動きにくさのある衣装をよしとし、
制限の中で踊りの美を求めていこうとする
日本人の民族性がそこに反映されて
いるのではないかというのが、私の独断による見解なのだ。

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