お七に恋?ーその2ー

お七に恋した私は、よりその人に近づきたいという次の行動
ゆかりの地―お墓のあるお寺―を訪ねるという行動に出ます。

お七のお墓のある文京区「圓乗寺(えんじょうじ)」は、
お七の檀家寺だったそうで、
お墓は、江戸時代の寛政年間、お七を演じて名を馳せた
歌舞伎役者四代目岩井半四郎が供養のために建立したものの
ほかに、住職や近所の人々がそれぞれ後世に供養のために
建立し、三基ものお七のお墓があります。
(それほど、お七はやはり多くの人に同情されていたのでしょう)
現在は、地下鉄の駅のすぐ近くの住宅街の中に
ひっそりとつつましやかに存在しているお寺です。
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「お七をやりますのでよろしくお願いします」

「どうか舞台が無事務められますようお守りください」

とご挨拶とお願いをし、お七ゆかりの「はしご」
(火の見櫓のはしごを登るところがクライマックス)を
型どったお守り(写真)を買い求めました。
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何だかお七に守られているような
安心感があり、気持ちだけは、かなりお役に近づいた
つもりになって満足感を味わったりしていますが、
現実はそう甘くありません。

振りが入るころから、本当の恋の苦しみ?でなく
踊りの苦しみが始まります。
今の苦しみは、どうやったら「人形振り」になるのか。
(まだその先に人形遣い役の後見さんとどのようにうまく
身体の動きを合わせるかという大きな課題もありますが、
とりあえず、「今」の課題)

    *人形振り:人間が文楽の人形のように演じることで
           よりその思いの強さや高揚を表現しようとした
           日本舞踊・歌舞伎の演出の一つ。
師匠の達也先生いわく
「文楽の人形の動きと同じことをその通りにやったって
 人形らしくは見えないよ。」
「でも文楽はちゃんと見ておきなさいよ」
「人形と全く同じに見えるんだったら文楽の人形
見ていればいいんだから、人形振りにはならないよ。
人形振りはあくまで踊りなんだからね」
う~ん。難しい!

整理してみると
1、文楽のお人形は、「より人間らしく見えるよう工夫された動き」
をしているのだからその通りを真似しようとしても、
人形らしく見えるはずがない。
従って
文楽の人形がどんなに人間らしく見せようと思っても
人間らしく慣れない「ぎこちなさ」を誇張して表現することで人形らしくなる。
2、人形らしく動くことばかりに集中してしまって、
一途さやけなげさという肝心な役どころをおろそかにして
しまってはだめ。踊りとしての様式美もなくなる。
(ということかな)

そもそも人形振りは、役どころを生身の人間より、
より効果的に表現できるようにということで
できたものだから、お七の一途さやはかなさー心―が
その動きから伝わらず、ただの人形になったら確かに
意味がないですね。

それではということで
国立劇場の視聴室に行って、過去の文楽公演
日本舞踊の公演、歌舞伎の演目何種類かのものを
ひたすら見てきました。
確かに、文楽のお人形さんの動きと
人間の人形振りの動きは違います。
文楽の方が却って腕の動きがスムーズだったりします。
人形振りをやっている踊り手さんも人によって
そのやり方は様々。より人形に近く見える動きをしていても
必ずしも切なさや、一途さが体中から伝わるとは限らない。

頭で何となくイメージはできましたが、
自分の体をじゃあどう使うかとなるとまた
話は別で、これからなが~い道のりです。

焼き殺されても男故ちっともいとわぬ。また大事ない
という唄の下りで、
「う~ん、それは違うよ。」
と心の中で呟いてお稽古しているようでは
まだ、まだですね^^;

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